『枕草子』 本文・現代語訳1 随想的章段

清少納言による随筆。鎌倉時代の『方丈記』(鴨長明)、『徒然草』(兼好法師)と並び、三大随筆と称されています。

「うつくしきもの」「にくきもの」といった類聚的章段、「春はあけぼの」といった随想的章段、一条天皇の中宮 定子に仕え、藤原斉信・藤原行成らと交流した宮中の生活を活写した日記的章段があります。

別れ際、恋人にはこうあって欲しいもの! 「暁に帰らむ人は…」

 暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒・元結かためずともありなむとこそ覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。


 人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起き難げなるを、しひてそそのかし、「明けすぎぬ。あな、見ぐるし」など言はれて、うちなげく気色も、げに飽かず物憂くもあらむかしと見ゆ。指貫なども、ゐながら着もやらず、まづさしよりて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子おし上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見おくられて名残もをかしかりなむ。思ひ出所ありて。


 いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰ごそごそとかは結ひ、直衣、上の衣、狩衣も袖かいまくりて、よろとさし入れ、帯いとしたたかに結ひはてて、ついゐて、烏帽子の緒きと強げに結ひ入れて、かいすうる音して、扇・畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづらいづら」とたたきわたし、見出でて、扇ふたふたとつかひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかり言ふらめ。

 

暁に帰るような人は、装束などを大変きちんとし、烏帽子の緒・元結をかためないでも良いだろうと思うものだ。とてもだらしなく、みっともなく、直衣・狩衣などがゆがんでいるとしても、誰がそれに気付いて笑ったり非難したりもするだろうか。(いや、そのようなことはない。)

 

男はやはり、暁の様子こそ、素敵でなくてはいけない。やむを得ず渋々と起き難いような様子である男を、女が無理に急き立てて、

「夜が明け過ぎてしまう。もう、見苦しいわ」

などといわれて、男がちょっとため息をつく様子も、「本当に満ち足りない気持ちで、憂鬱に感じているのだろうね」と見える。指貫なども、座ったままで着もしないで、まず女に近寄って、夜に言ったことの余韻のような睦言を女の耳にささやいて、何をするわけでもなうようだけれど、帯などを結うようである。格子を上げ、妻戸があるところではそのまま一緒に女を連れて行って、昼の間会えなくて気がかりであることなども言い出しながらすべり出て行くような姿は、つい見送らずにはいられず、逢瀬の余韻も素敵なものだ。私にも思い出すことがあって。

 

(逆にがっかりなのは)とてもすっきりと起きて、ぱたぱたと騒いで、指貫の腰のところもごそごそと結い、直衣や袍、狩衣も袖をまくって、慌てて腕を差し入れ、帯をとてもしっかりと結びきって、ちょっと座って、烏帽子の緒をきゅっと強く結び入れて、頭にきちんと固定する音がして、扇・畳紙などを昨夜枕のあたりに置いたけれど、自然と散らかってしまったのを探し求めるのだけど、暗いので、どうして見えるだろうか(いや、見えない)、「どこだ、どこだ」と叩きまわり、やっと見付けて、扇をパタパタと使い、懐紙を差し込んで、「では失礼するよ」とだけ言うのであろう。

噂話・陰口をいうのは楽しい!? 「人の上を言ふを腹立つ人こそ…」

 人の上言ふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ。いかでか言はではあらむ。我が身をば差し置きて、さばかりもどかしく言はまほしきものやはある。

 

 されど、けしからぬやうにもあり。また、おのづから聞きつけて、恨みもぞする。あいなし。

 

 また、思ひ放つまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じて言はぬをや。さだになくは、うち出で、笑ひもしつべし。

人の噂話をすることに腹を立てる人は、本当に訳が分からない。どうして言わずにいられようか。自分のことはさておき、これほどまでに言いたくてじれったいものは他にあるだろうか、いや、ない。

 

しかし、感心できないようなことでもある。また、偶然に、本人が陰口を聞きつけて恨んだりしたら大変! 困ったことである。

 

また、縁を切りたくないような人に関しては、あれこれいうのも不憫だと思うので、我慢して言わないでいるけれど。そんなことさえなかったら、つい話をしてしまい、笑ったりしてしまいそうだ。